整体に整体師は要らない!?

整体師範 香野勇雄 のブログです。

活法のはなし

「整体」って、どういうことを言うのでしょうか?

と、こんな風に謎かけをしておきながらも、
実は私にも「これだ!」「これが整体なんだ!」という明快な説明はできません。

今日実践されている方法論やテクニックは、
それこそ整体師の数だけ在るというのが現状かと思いますし、
これはとても素晴らしいことであると、私はそう思っています。
その理由などについては後述することになりますが…

ところで!
皆さんは時代劇、特に侍映画=「チャンバラもの」をご覧になりますか?

 

 

「いきなり何を言い出すのぉ!?」と思われるかも知れませんが、
整体の正体を見付けるため、よく知ってもらうために、
とても大事なお話なので暫しお付き合いくださいませ。

日本独特の歴史を肌で感じる上で、
このチャンバラ映画は重要なものであると言って良いのだと思いますが、

恐らくどの作品にも描かれたことのない、侍の世界には不可欠だった
” リアルな分野 ” があったことをご存知でしょうか。

武術に於いて描かれているのは、
攻撃とそれに対する守備=『殺法』ばかり。
生々しい表現で言い換えれば、「殺す方法」と「殺されない方法」です。

では、それだけで武術が成立するのでしょうか?

確かに剣術という範囲で考えればそうかも知れません。が、
総合的に武術として考えるのであれば、
極めて大切なもう一つの要素が丸ごと欠けています。

「殺す方法」と「殺されない方法」、これらは何れも1対1の世界で、
つまりは自己完結の世界。

ですが、戦(いくさ)ともなれば敵も味方も多数になります。

さて、勘の良い方はそろそろお気付きかと思いますが、
「殺す方法」と「殺されない方法」と、あとのもう1つ、それは、

       「死なせない方法」

です。
「死なせない方法」とは即ち「活かす方法」であり、
そしてその具体的方法論を総称して

       「活法(かっぽう)」

と呼んだのです。
そう、本来「武術」とは『殺法』と『活法』の双方を示すものだったのです。

                 ∞

この続きはまた近日中に…。