「言霊」上手に使えていますか?③
以前、
私がある救急医療のNPOと関わっていた時、
その代表の方に、食事の席で
こんな言葉を頂いたことがありました。
その方は、「まるでキリストのような」と
形容できるほどの人格者で、とても心の優しい人でした。
「ここのお料理ホント美味しいですねぇ。
とても楽しい時間が過ごせて、今日は感激です。
…ところで香野さん、
今お箸を運んでいるその口は、
本当は何のために在るのか、解りますか?
やっぱり美味しい物を食べるため?
それとも相手に自分の主張を通すため?
香野さん、そこについているその口はね、
”人を励ますため” に在るのですよ」
ポカンと口を開けたままになってしまった私に
彼は話を続けてくれました。
「励まされた人は、それだけで幸せな気持ちになります。
そうでなかった人は、それだけで寂しい気持ちになります。
人は、励まし合うことでお互いを幸せにしてゆく、
そういう生き物なのです」
衝撃でした。
それまで、ただ勢いで生きてきた若造にとっては痛烈に。
「洗礼」という儀式は、
かくも予想しない時に訪れるものなのですね。
∞
恐らく、その時の彼よりも年上になった今、
あの言葉の通りに生きていた彼に
少しでも、ほんの少しでも近付いてみたいと
そう思いながら、今、私は生きているのかも知れないと
そう感じられることが、
何とも有難かったりするのです。
〈次回に続く〉