「痛み」って何者ですか? ~その壱~
毎月1回お届けの整体コラム2019年8月号のバックナンバーをお届けします。
*整体に整体師は要らない!?*8月号 「痛み」って何者ですか?
~その壱~
梅雨明けまであともう少し、ちょっと肌寒い日が多いですが皆さま如何お過ごしでしょうか?
さて今回から数回に渡って「痛み」について書いてみたいと思います。
整体師とはまさにこの「痛み」と向き合うことこそがその本分と言っても良い仕事でありますが、
このテーマを改めて考察すること、嫌がる先生結構多いと思います。
それは、痛みの正体やメカニズムが未だ解明されていないからです。
ですからアカデミックに説明してからその対策などに迫ろうとしますと、
どうにもしどろもどろに…やれ「末梢神経が…」「中枢神経が…」「側坐核が…」「ニューロンが…」「ゲートコントロールが…」諸々、しかも「…と言われており」の中締めを繰り返しながら、
そこに自らの見解を被せていくことになり、収拾のつかないことになってしまいがちです。
なので、僕は敢えてアカデミックでは無い角度で「痛み」を考察してみたいと思います。
それに際して先ず「痛み」から一旦離れて、もっと広く感覚というものについて考えてみましょう。
さて、我々人間は常に何某かの感覚を伴いながら生きています。
肉体を取り巻く環境の状態は常時、目、鼻、口、耳、手、肌などの感覚器官によって読み取られ、瞬時に感覚という形でその評価を出します。眩しい・臭い・苦い・冷たい・暑い・硬い…etc.
我々の感覚を大きく分類して五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)とし、これにオプションとして、気配や近未来などを察知する感覚を第六感=シックスセンスなどと言ったりします。
この一瞬一瞬の目まぐるしい作業は生まれてから死ぬまで付きまとい続けるのです。
何故なのでしょうか?
ここで思い出してみてください。感覚を得た後、無意識に行なっている作業がある筈です。
それは、賛否を付ける審査=「快」or「不快」のどちらかに振り分けるという作業です。
ではそれは何の為の作業なのでしょうか…? ズバリ、「生き続ける為」です。
我々の生命とはそもそも、維持存続することにその目的の全てがあると言って良いでしょう。
人類を取り巻く文明というものが、単なる生命を「人生」という呼び名に変え、
その目的や在り方を複雑かつ多様で分かり難いものにしてしまっていますが、
真の目的はたったひとつ、「生き続ける為」に、ただそれだけの為に生きているのです。
「夢を叶える為に」とか、「愛する人を守る為に」とか、好きな目的を設定するのは自由ですが、それも実は生き続けることを後押ししてくれる❝仕掛け❞に過ぎません。
生命体としての生きる目的そのものは実にシンプルなのです。
そして「快」「不快」の振り分け作業は、生き続ける上で不可欠な環境状態=「安全」を識別する反射なのです。
例えば、腐ったものの匂いを嗅いだ時、考える間もなく「臭い」という感覚を抱き不快感に包まれますが、それは腐ったもの→安全ではない物を口に入れないようにする反射です。
この生き続けることを手助けする「感覚」という頼もしい仕掛けを携えた人類ですが、
他の生物に於いてはどうなのでしょう…やはり我々と同様なのでしょうか?
どの生物種も「感覚」という生き続ける為の仕掛けを持っているようですが、それらの内訳や能力&「快」「不快」の振り分け作業の在り方は、生物種によって大きく異なるようです。
さて、本題を忘れてしまうといけないので、ここでまた「痛み」について書こうと思います。
痛みは五感から得た感覚の先に生じた「快」「不快」のひとつの現れ方(部分集合)です。
痛みが発生することで、我々はその先にある安全ではない領域へ踏み入ることを回避したり、
安全を脅かすその原因と速やかに向き合うことができたりするのです。
そう、つまり、痛みは生き続けることをサポートしてくれる強力な味方なのです。
もう一度言います。❝痛みは味方❞なのです。
しつこいようですがもう一度、❝痛みは味方❞ なのです。
なのに何故、今日皆さんは痛みをそれほどまでに忌み嫌うのでしょうか…?
何故、痛みを感じること事態から逃れようとし、痛みを抑え込もうとするのでしょうか…?
この続きはまた次回に。
おぼろげにその正体やメカニズムが、香野整体的角度から見えて来ます(…と思います)。
★8月号をお読みいただきありがとうございました。皆さまのご健康を心よりお祈り申し上げます。
それではまた来月、ここでお逢いしましょう… 香野
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