整体に整体師は要らない!?

整体師範 香野勇雄 のブログです。

番外編 ~「今」という時 ~

こんにちは。江の島整体「癒芽身」の施術長 香野です。

今回は番外編です。免疫の話は一旦置いておいて「今」という時について、ちょっとだけ考えてしまおうかな、と思います。

 

…で、それに先立ち…すみません、また直接関係ないところからスタートさせていただきます。

 

 

皆さん、これ、何の植物かお判りでしょうか? 

パッと見で分かってしまった人⇒かなりの健康志向か、相当なハイキング好きか、或いは素晴らしく自然に恵まれた環境で過ごした経験をお持ちか…そんな方なのかなぁと、思ったりします。

 

これ、クレソンです。

暫く前、自宅からほど近いフジスーパーで買ってきまして、食べる際に切り落としたたった一本の根の部分から育ったものです。庭の軒下部分に水を絶やさないようにして置いてあります。

 

クレソンに含まれる苦み成分である「シニグリン」には優れた殺菌力があり、例えば焼いた肉などの雑菌や毒素が多く含まれる食品を食べる際にクレソンを一緒に摂りますと、カラダが受けるダメージを大幅に軽減してくれるようです。

 

往々にして野菜の苦みを欲っする時というのは、カラダが発した「要デトックス」のアピールを受信した時でもあります。クレソンを食べるのと同時に、ここ最近毒性の高い食物(=主に肉、特に牛肉!)を多く摂取していないかのチェックと、その「引き算」を実行する機会にしてみてください。

 

シニグリン含有食品は、クレソンの他にワサビ、大根などがあります。それらは共通して「アブラナ科」に属する植物なのですが、この科目は抜群に健康を支援してくれまして…いつかここら辺の話もお届けすることとなると思います。

 

初めは ❝なんちゃって❞ な感覚でコップに水を入れて挿していたのですが、様子を見ているうちに「生きようと思ってますから宜しく!」みたいなメッセージを放つようになったので、小さい鉢に移して土が乾かない工夫をして…で、今年3月に面積が広い大きな鉢を買ってきて…で、こうなったというわけです。

 

少し前までは「いつか生い茂る程になったら少しずつ取って食べよう」という気持ちで楽しみにしていましたが、育つうちにだんだん可愛くなってしまっていて、今や日々ただ眺めているだけでなんとなく嬉しいような、そんな感覚でいます。

 

…おっと!このままだとクレソンの話だけで終わってしまいますので、そろそろ「今」についての考察を始めたい思います。(僭越ながら僕の感覚的なところで述べさせていただきます)

 

👑  

 

さて、現在我々が遭遇している ❝事変❞ も踏まえ、「今」とは一体どんな ❝時❞ なのでしょう…。

 

ボクシングに例えて言いますと(⇒何故だ!)

どうやら、「もうこの試合は続行できません」と、遂に白いタオルがリングに投げ込まれたんだなぁ、と感じています。

 

そう、およそ200年間にも及ぶ長いファイトがセコンドによる試合放棄によって終了を迎えてしまう&ボクサーのダメージは相当なもの…(ボクシングが全く分からない方、すみません)

 

この白いタオルの役目を担ったもの、それはもしかすると今回のパンデミックであり、タオルを投げたセコンドはウィルスなのかも知れません。

 

では、ダメージを受けていた側のボクサー=「敗者」は一体誰なのでしょう…。それは

 

「(今までの)世の中の仕組みと価値観」

 

です。(再度お断りしておきます。これはあくまでも僕の感覚的なところです)

 

さて、これから一体どんな時代が訪れるのでしょう…。

 

きっとこれまで我々を取り巻いてきた世界というのは、例えば大きな洗面器のようなもので(ボクシングが分からない方、もうご安心ください)、今まで発展してきた文化や文明というのは、それに少しずつ注がれ続ける水のようなものです。そしてその水面で浸かったり泳いだりしているのが我々人間です。

 

洗面器は上に行くにつれ広がりますから、水が注がれるほど浸かれる人の数も多くなっていきます。人が増えますと次第に水が温まっていきます。

 

孤独感もなく水も温かいので、ただ浸かっているぶんには楽になります。が、泳ぐことは段々難しくなっていきます。

 

初めは空っぽだった洗面器も、水が徐々に注がれていき、やがて満杯になった後はそれまでに注がれていた水が洗面器の外にこぼれ始めるのです。

 

結果として、洗面器は約200年でいっぱいになるキャパシティでした。

 

この時の「満杯になった瞬間の洗面器」は、正に「今」という飽和状態にある時代そのものであり、「注がれた水がとうとうこぼれ始める」のが「これから」という、すぐ目前に訪れようとしている近々の未来なのだと思います。

 

飽和状態が来る場合も在り得るのだ!ということに気付いた近代の人々は、(無意識のうちに?)新たに注がれる水の分量を見ながら古い水を捨て、自分たちが洗面器の外に流されてしまわぬよう努めてきました。

 

でも、とうとう限界=臨界点が訪れてしまった…。

 

さて、我々が初めて体験する溢れ出る水、…その水面に居る人間たちはどうなるのでしょうか?

洗面器の中に留まろうと、水中に潜ればすぐに溺れてしまう。溢れる水に逆らって泳ぎ続ければ、やがて力尽きてしまいます。

一旦溢れ始めた水の勢いは想像を越えるほどのものです。

 

流されても朽ちる、逆らっても朽ちる。…ということは、我々に未来は無いのでしょうか?

 

いや、ちょっと待ってください。流されたら朽ちるかどうかの検証は未だしていませんでしたね。

 

結論から言ってしまうと、

生き続けるための正しい選択、それは恐らく「溢れ出る水と一緒に流れる」ことです。

 

生まれた時から過ごしてきた環境が洗面器の中だったので「洗面器が全て!」な視野になってしまっているのは仕方ありません。ですが、洗面器の外にどんな環境があるかは未だ誰も見たことが無いのです。

 

洗面器から溢れ出た水はどんなところへ流れていくのでしょうか?

流れ着く先は今までよりも過酷で苦しいところなのでしょうか?

流れ着くまでにどれくらいの時間が掛かるのでしょうか?

流れ着く途中に危険はないのでしょうか?

 

…それは分かりません。ただこう考えると何かがおぼろげに見えてきます。

 

全ての水が流れ着く先は、より大きな水の集合体です。

 

…これは自然の摂理です。

 

👑



さて今回=番外編はこの辺にしまして…

次回は免疫の話、小麦について書いていこうと思います。

 

…それにしても、思えば不思議なものです。

あのクレソンを食べた時の味も喜びも忘れてしまいましたが、捨てるつもりだった根の部分が今の僕に付き添いながら、これからの楽しみを提供し続けているのですから。

 

それでは失礼します。

 

皆さまの健康を心よりお祈り申し上げます。

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