整体に整体師は要らない!?

整体師範 香野勇雄 のブログです。

「言霊」上手に使えていますか?

「言霊」

というと、何かこう…特別で

この世のものでは無い、

得体の知れない力の作用を示すようにも感じますが、

それは近代になってからの解釈であると

私はそう思っています。

 

「霊」という意味合い自体、

身近に在るべくして在る=ごく当たり前の存在から、

「科学的根拠」や「エビデンス」などという

疑い深い人を安心させるための ”近代兵器” によって、

貧素な秤の上に乗せ、少し離れたところから

冷ややかに眺めるものへと

変えられてしまったのでしょう。

 

「信じる方ですか!? 信じない方ですか!?」

「いや、僕はそれって在る!と思うんですよぉおおっ!!」

 

…どうだって良いと思います、そんなことは。

 

つまり、

「言霊」とは、言葉に帯びる

人を動かすために作用するチカラ、エネルギーのことだと

私は認識しています。

 

〈次回に続く〉

 

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  • #霊
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人の助け、受け取れていますか?

人が人を助ける時、

人が人に助けられる時、

 

助ける者は、助けられる者より

ほんの少しでも、

ほんの僅かにでも、強くあるべきなのだと

 

かつての私は…この夏以前の私は

そう思っていたのかも知れません。

 

でもそれは…その強弱の関係性は

どうだって良いものであると、

今の私はそう思っているのです。

 

そこに必要なのは、

 

助けようとする者の「優しさ」と

助けられようとする者の「大らかさ」

 

ただそれだけなのだと

今の私は、

そう思っているのです。

自然を感じたいですか?

若い頃、「自然を感じる」という意識を味方に付けて、

貪るように海に入っていました。

 

でも、それは嘘でした。

 

本当のところは

「自然を利用して自分を感じる」だったのだ、

ということを、歳を重ねた今

素直に認めることになっているのです。

 

 

さて、

その場が海であれ、山であれ、

 

もし、自然を感じようとするのなら

「良いコンディション」など吟味することなく

如何なる時の自然にも

ただ、ただ、身を委ねる。

 

その時、本当に「自然を感じる」ことになるのでしょう。

 

さて、あなたは「自然を感じたい」のか、

それとも「自然を利用して自分を感じたい」のか、

一度改めて整理してみるのも良いかも知れません。

まだ座ってるつもりですか?①

こんにちは。整体師の香野です。

 

夏からここ最近まで、組織の立ち上げ作業等で暫く忙しい状態が続いたため、久しぶりの執筆となってしまいました。

ご無沙汰してしおります、皆様は如何お過ごしでしょうか?

 

それにしても暑い夏だったなぁ〜…と、思っていたら一気に肌寒い日々…もう色んな意味で何が何だかわからない2020年なわけです。

 

この写真は先日の強風&長雨で庭から屋内に一旦避難させた植物たちです。(&手前のペダルは愛車のBMX氏)

ホッと和みながらおしゃべりを楽しんでいるご様子でした。

 



さて、今回は前回の続編をお届けしょうと思ったのですが、時間も空いてしまったことですし&昨今「アフターコロナ」とか訳の分からない言葉が横行…と言いますか、全てそれで片付けようとする無責任な風潮が蔓延していることなども、このところ結構気になっており…の新しいシリーズ「老い!負い!追い!」と題したその第一弾を今回お届けします。

 

…ですので「日本人の特殊な能力」の第3段(完結編)は暫しお待ちください。❝良きところ❞ でのアップ予定です。

 

🦵

 

時間の経過に実感が持てないこの2020年、既にもう10月も半ばになろうとしております。

 

未だちょっと気が早いかも知れませんが、2020年を振り返りますと、外出自粛の指導行使により、多くの人にとって「身体の弱化を強いられた年」であったと、僕はそう痛感するわけです。

 

外出自粛の指導…これは整体師である僕から見ますと「国民の皆さん、感染リスクと引き換えに根本的な健康を手放しなさい!」の指導がお国から繰り返し発せられたという、そんな今年は何とも奇妙な年でもあるわけでして…。



春以降、老若男女問わず、僕を訪れるお客さんの今抱えている不具合(身&心の何れに関しても)が、実に極めて高い頻度で「長時間に及ぶ座位の継続」、即ち椅子に長い間座りっぱなしでいることがその原因である、という状況になっています。これは僕だけでなく世界中の同業者(補完代替医療従事者)も直面していることだと思います。

 

このことは健康維持という視点からして、先々重大な問題になってゆくことと思っています。

 

ですが、このコラムの読者である皆さんには、是非とも上手にそのリスクを回避していただきたいので、何回かに渡って「カラダに及ぼす座ることの弊害」について書いていきたいと思います。

 

&マスク着用時間が長いことに関しましても、これまた同様な現況なのですが、これにつきましてもまた後日書きたいと思っています。

 

一般に「座る」という行為を「=休む」と捉えがちですが、解剖学的に見れば「全身をクランク上に屈曲した体勢の維持」であって、それはあくまで身体の可動を抑制した「人間特有の静的な運動」であると僕は捉えています。

 

🦵

 

お客さんの口からも「ずっと座っているのが悪いんだと思うんですけど、〇〇の調子が…」という自己分析の発言がなされることも少なくはないこのところの施術現場なのですが、改めて、

 

椅子に座っている時間が長いと、何にどう良くないのでしょうか? 

 

では、今日はその第一弾として… が、その前に少し寄り道にお付き合いください。

 

皆さんは座っている時の ❝お行儀の悪い行為❞ といいますと先ず何を思い出されますでしょうか?

そう、

 

「貧乏ゆすり」

 

ですよね。(「俺は ❝ 楊枝でシーシー ❞ がまず思い浮かぶけどなぁ」…ま、ま、どうかここは話を合わせて頂きまして…(汗))



「貧乏ゆすりは、血行不良を改善する為の反射運動である、

だから本当はカラダに良いのだ!」

 

とは昨今巷でよく言われているところで、僕もその「カラダに良いこと」については特に異論は無く、確かに座って暫くの時間が経過した時に「貧乏ゆすり」が起こる頻度は高いので、その時特に大腿部から下は血行不良に陥っていると考察できると思います。

 

勿論、長時間座り続けることが全身の血行に良くないのは言うまでもなくで「エコノミー症候群」しかり、です。

 

皆さん、今一度「貧乏ゆすり」の動作を思い出してください…そう、せっかくですから今やってみてください。(今一度周囲に人が居ないことをご確認の上、自己責任で行ってください)

 

踵(かかと)を浮かせ、爪先を床に対して垂直に押し付けては力を抜くという反復動作を、非常に小刻み且つスピーディーに行ってください。…そのまま20秒くらいやってみましょう。

 

どうですか? 血行が良くなった感覚ありますか?

 

では、今度は「貧乏ゆすり」別バージョンの動作です。

腰掛けたまま両脚を肩幅程度に開き、ベタ足のままで両膝を小刻みに近付けたり離したり(⇒ワナワナ)する動作を、小刻み且つスピーディーに行ってみてください。そう、フクラハギと太腿がブルブルと左右に震えるように…。

 

どうですか?

こちらの動きの方が、グ~ンと一気に全身の血行が良くなった感覚がありませんか?

そう、恐らくこの別バージョンこそが「血行不良を改善する為の反射運動」なのだと、僕にはそう思えるのです。

 

でも…別バージョン、あまりやりませんよね。「貧乏ゆすり」といえば殆どが前者の「踵を上下動させる反復動作」です。 

 

なので、ここで取り上げる「貧乏ゆすり」は、この「踵を小刻みに上下動させてアキレス腱を伸縮させる反復動作」のバージョンに絞りたいと思います。

 

🦵

 

「貧乏ゆすり」をする人、しない人、またその頻度など、かなりの個人差があることと思います。では、これは即ち、血行不良を起こし易い人とそうでない人の分類でもある、と言うことなのでしょうか…?

 

例えばどうでしょう…じっくりと集中してパソコンと睨めっこしている時などは、「貧乏ゆすり」しがちな人も、数時間じっと大人しく座りっぱなしで過ごせてしまうものではないでしょうか?

 

「そうか!集中すると血行不良は起こらないんだぁ!」…いえいえ、そうではありません。

 

上記のような状況からトイレに行きたくなったりして立ち上がろうとした時に、急に脚 or 足が痺れてふらついたり、脚 or 足の感覚が鈍くてギクシャクした歩き方になってしまうような経験、少なからずあると思います。 

 

この時、血行は充分悪いのに「貧乏ゆすり」をすることもなく座り続けていたというわけです。

 

が、もし「貧乏ゆすり」が単に血行改善の反射であるのならば、立ち上がるよりも前に何故、「貧乏ゆすり」が起きてくれていなかったのでしょうか?

 

🦵

 

「貧乏ゆすり」が発現する理由の核心は、単に脚の血行不良を改善する反射とは少し別のところにあるのではないかと、僕はそう考えています。

 

この「貧乏ゆすり」を観念に縛られずに観察&考察していきますと、カラダには自らを機能させるためのスイッチのようなものが備わっていること、そして人間は年を重ねるにつれそのスイッチを押さなくなるということが見えてきます。

 

「貧乏ゆすり」が始まる時とはどんな時なのか、そのシチュエーションを幾つか思い出してみましょう。

 

例えば、座っている状態にあって、

 

・打ち合わせが終了の予定時刻を超えそうなペースで進行している時

・待ち合わせの相手がなかなか来ない時

・足止めを食った電車の中で待たされている時

                              …などなど。

 

これらは、長時間座り続ける状況の元に起きる「貧乏ゆすり」のパターンではありますが、こうして並べてみますと、単に長時間座ったことによる血行不良という物理的な側面ではない ❝何か❞ がそのスイッチを押す権限を握っているということが見えてきます。

 

そして、座るなりいきなり、或いは座って間もないのに…というパターンも実は結構あったりします。つまり、脚に血行不良が生じていない筈なのにも関わらず「貧乏ゆすり」をする時が少なからずあるのです。

 

では、こちらも幾つか…例えば、

 

・「まぁいいからそこに座って!」など、他者からの指図で座った時

・何か良いアイデアや名案はないものかと思考を巡らせた時

・パソコンなどに向かいながらの作業でピッチを上げようとする時

                              …などです。

 

このような時には「やれやれ…」とか思いつつ腰掛けますと、たった今折れ曲がったばかりの脚は、もう既に小刻みに揺れていたりします。

 

つまり、座っている時間の長さに関わらず = 血行不良であるなしに関わらず「貧乏ゆすり」は発現するということになります。

 

では前者の群と後者の群の共通点は何なのでしょうか? それは、

 

気持ちが落ち着かない状態にある

 

ということです。

 

つまり「貧乏ゆすり」=「踵を小刻みに上下動させてアキレス腱を伸縮させる反復動作」は、気持ちを落ち着かせることを最優先の目的として反射的に起こる運動行為であると、僕はそう思っています。

 

🦵

 

…結構な文字量になってまいりましたので、そろそろ終わりにしなければなりません。

 

さて、気持ちが落ち着いている状態とはどんな時に訪れるのでしょう。

 

それは、免疫が高まり、身&心が共にバランスの取れている時に訪れるのです。

 

即ち、アキレス腱を伸縮させる反復動作は、カラダをリセットする最もお手軽な運動なのです。

…これはあくまでも僕の考察ですが、…いや、これはまず間違いありません。

 

いつかその理由など、少し詳しくお話ししましょう。

 

だから、スクワット? ウォーキング? いえいえ、そんな頑張ろうとする必要はありません。

 

時々、ピョンピョン飛び跳ねてください。 

時々、手ぶら(スマホもNG)で散歩へ出掛けてください。

 

これで充分。そう、たったこれだけでカラダはリセットされるのです。

…でも、この2つ、暫くご無沙汰なのではありませんか? そう、衰えとはこんなことから始まるのです。決して、筋肉量が…とか、骨密度が…とか、〇〇の数値が…とか、そんなことを気にするより…せっかくですから、もう一度言っておきましょう。

 

時々、ピョンピョン飛び跳ねてください。 

時々、手ぶら(スマホもNG)で散歩へ出掛けてください。

 

🦵

 

それでは今回はこの辺で!(続々「日本人の特殊な能力」をお楽しみに…)

 

また次回お会いしましょう。

皆さまの健康を心よりお祈り申し上げます。



*当コラムの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用・NAVERまとめ等のまとめサイトへの引用はお控えください。 



続・日本人の特殊な能力

こんにちは。整体師の香野です。


暑いには違いないものの、今ひとつ夏を感じられないままに立秋が過ぎてしまいましたが、皆様は如何お過ごしでしょうか…。

今回は前回「日本人の特殊な能力」の続編です。少しお久しぶりとなってしまいましたが、引き続きお付き合いの程、何卒宜しくお願い致します。


では、先ずは余談から…



何だか判りますか? これ、アボガドです。5月半ばに隣のクリエイトで買ってきて食べたアボガドの種をふと見ますと「生きます!」と言わんばかりのエネルギーを発していたので、その意向に応えるべく水に浸けておきましたところ6月初旬に根を出し、今ではご覧のようにすごい勢いで芽を伸ばし、葉を増やしているというわけです。


「そろそろ鉢に移して頂きたく…」という彼らの意向が、かなり前から提示されているのですが、中々時間を当てられませんで…ごめんなさい、アボガドさん、もう暫しお待ちを!


それでは本編に入らせていただきます。


🔨


前回は『世界三大伝統医学』について触れ、その続編となる今回ですが、一旦それ自体は置いておいて…皆さん、いきなり壮大なテーマでの質問となります。お付き合いください。


あなたにとって「持つべき技」「手に入れたい技」とは、一体どんなものですか? 

(保険会社のアンケートみたいですが)…そう、優先順位トップ3くらいで挙げてみてください。



如何ですか? 

絞り込んで1つだけ挙げた方、止めどなく思いつく方、また、既に今持っている技を挙げた方、これから手に入れたい技を想像した方、様々いらっしゃることと思います。


僕だと…そうですね、やはり先ずは今の自分に備わるもの、足りないもの含め「整体術」ということになりますね。


これが板前さんであれば、例えば「包丁さばき」だったり、宮大工さんであれば「木組み技術」だったり、経理課に務める会社員さんであれば「エクセル」だったりするのでしょう。


こうして生業や価値観が違えば、その回答も十人十色、無数にあるわけですね。


ただ、その「目的」ということになりますと、総括してまとめることができるのかと思います。

つまり、それらが「何のため」の技であるのか、ということを突き詰めますと、恐らく総じて、


「生き長らえるため」


ということに集約されるのではないでしょうか。


例えば、お金儲けに繋がる技であれ、愛されることに結びつく技であれ、人生を楽しくする技であれ、それら総ては何であれ、とどの詰まりは「生き長らえるため」に必要な方法論であり、この図式はいつ何時どの時代においても変わることのない普遍的なものなのではないかと思います。


「いやいや、私はそんな動物みたいなことじゃなくて ❝幸せになるために❞ という前提よ!」という方も少なくないかも知れません。が、それは厳密に言えば「目的」ではなく「目標」です。


「幸せになる」という目標を持つことで、「生き長らえる」ということに積極的になれるよう工夫をしているわけで、目的そのものはやはり「生き長らえるため」なのだと思います。


生きられることが当たり前の現代ですから、自分の未来に目標を設定する工夫をしないと、喜びのない人生になってしまうのかも知れませんね。


でも、どうでしょう…例えば、手の混んだ高価なものを食べて美味しいと感じるより、質素で素朴な食べ物を美味しいと感じられることの方が…ん〜何といいますか…そう、「優れている」のだと、僕は思うのです。


ですから、目標や夢を叶えることに人生の喜びを見出す人よりも、ただ生きているだけで喜べる人生を送り続けている人の方が「優れている」と、僕はそう思うのです。(「優れている」=お釈迦様が残した言葉でよく使われているこの表現を引用させていただきました、恐縮です(汗))



🔨


さて、皆さんに考えていただいた、ご自身の「生き長らえるため」に「持つべき技」ですが、実はそのどれもがある共通の ❝作業❞ によって出会っているのです。

それは、


選 択


という作業です。

何の技を持って生きるにせよ、誰しもが「どれにしよおかな?」をして、その技を選んだ経緯があるのです。


「いや、私はいつもただ成り行きに任せて生きています。」とおっしゃる方もいるでしょう。しかし、これも意識的な選択の作業では無いだけで、結果として既存の何かを選択をしている状態に収まっているのです。


僕もその昔、数ある補完代替医療行為の中から「整体術」という技を意識的に選択し、学ぶ先の師匠がたまたま「整体術」の中の「活法」というスタイルを継承している人であったため、結果として「活法」を選択していた、という経緯があります。


この「既にあるものの中から選択する」という作業が先ずあって、そこから自分の生き方がスタートする、だからこそ人は


僅かな時間で ❝食べていけるだけの技量❞ を身につける


ことを可能にできるのです。


「人にはそれぞれ自分の生き方があるのだ!」とは言いながらも、人間誰しもその能力の大部分が、「既にこの世に在る技」で形成されているのです。


言語、振る舞い、服装、習慣…総ての技という技は「先人の模倣」であり、いくら「今時の人類は…」などと現代人を特別視しようとしても、実際には先人の模倣の集合体です。


でも何故、会ったこともない昔の人の技を模倣できるのか…それは言うまでもなく「今に伝わる」からでありまして、先人側からすると「後の世に残した」からであります。


技を後の世に残す方法は、先ず「伝授」という手段が取られます。

これは自らの後継者を作る目的で1人〜少人数を対象に行われ、その後継者がまた次世代へと伝えるということを繰り返し、永い時を超えた今に生きる現代人に知らされるわけです。


🔨


現代人含め、後世は知らされようとする全てを受け入れるわけには参りません。前世から伝わる情報量は余りにも莫大…しかもその思想や方法論は互いに打ち消し合う内容も少なくないですから、自ずと「吟味」という ❝絞り込み❞ がなされるのです。


「吟味」する際に持ち出されるのが「信憑性」という物差しです。


さて、この「信憑性」を裏付ける基準をどう設定するか…実は、その設定に、世界と日本には大きな、大きな!違いがあるのです。


さぁ、やっと今回テーマの核心へと迫るシークエンスが来たのかも知れません!



…ですが、そろそろ長くなってまいりましたので今回はこの辺でお別れ…なのですが、

次回へのイントロダクションも踏まえ最後に言っておきましょう。


世界は「信憑性」を裏付ける基準をどう設定しているのでしょうか? それは、


「 体 系 化 」


という工程が施されているかどうか、なのです。これ、世界基準です…が、これが(=この感性が)歴史的に日本人が非常に苦手とするところであったのです…。


前回お話した『世界三大伝統医学』にしても、この「体系化」がなされたことによって、時を共有することがなかった現代に生きる沢山の人々が、その知識は共有することができるというわけです。


それでは今回はこの辺で!(続々「日本人の特殊な能力」をお楽しみに…)


また次回お会いしましょう。

皆さまの健康を心よりお祈り申し上げます。



*当コラムの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用・NAVERまとめ等のまとめサイトへの引用はお控えください。 



日本人の特殊な能力

こんにちは。江の島整体施術長 整体師の香野です。

 

雨、風、暑さ、運動不足、マスク、ダメな〇〇、無神経な□□…色々な逆境と向き合うこの梅雨、

皆様は如何お過ごしでしょうか…。

 

今回のコラムもシリーズ『免疫』の ❝箸休め❞ の回にしようと思います。

&巻末に幾つかインフォメーションがございますので宜しければ目を通してみてください。

 

それでは…すみません、また余談からスタートさせてください。

 

 

庭のキキョウです。このすぐ隣にもう2輪、全部で4輪の白い花を咲かせています。

 

激しい風が吹く今年の梅雨の中で可憐に咲き、強風をかわしながらしなやかに揺れている…、一見弱々しそうに見えて、実は強く美しいその姿を見ていますと、こう…今の世の中に対する戸惑いが晴れるとでも言いましょうか、「あ、この感じ目指しましょう!」みたいな気持ちになるのです。

 

…それでは本編に入らせていただきます。

 

前回は「中医学」の考え方を基に展開したセクションがありました。(覚えていますか?)

この「中医学」とは「中国伝統医学」のことなのですが、今回はこの「伝統医学」というものについて軽く触れたいと思います。

 

🥼

 

伝統医学」と呼ばれるものは、抗生物質や外科手術などの即効性の高い対症療法が無い時代に発生したものですから、基本的には何れもが未病に対する原因療法であり、即ち免疫を高める方法論について探求し体系化されたものであると言えます。

 

代表的なものとしまして、中国地域(国家としてではなく)発祥の「中医学」の他に、インド大陸発祥の「アーユルヴェーダ」、ギリシア医学を起源にアラビア文化圏&イスラム勢力圏で発展した「ユナニ医学」などの代表的なものがあります。

そして、それら3つを総称して

 

『世界三大伝統医学』

 

と言ったりします。

これらは今現在も尚、世界中で発展し続ける多種多様な予防医学や補完代替医療の分野に於いて、そのエビデンス的な役割を担っている存在でもあります。

 

🥼

 

これが「伝統医学」の学習としてのコラムなのであれば、本日は「中医学」について、そして次回は「アーユルヴェーダ」と、それぞれを回ごとに分けてしっかり説明するのが正当な展開かと思います。が、僕がこの先で語りたいことが「伝統医学」とは別のところにありますので、それらを極力簡潔にザックリと一言で語ってしまいたいと思います。(「伝統医学」に詳しい方、しっかり勉強された方、どうか見逃してやってくださいませ)



中医学は、陰陽や五行のバランスを整えることが重要とし、その方法論として、漢方薬鍼灸、按摩、薬膳(養生)、気功などを用います。

 

どの方法論も日本に古くから根付いているものばかりで、例えば「おばあちゃんの知恵」と言われるような民間療法の中にも「中医学」由来のものが多くあるように思います。また、実際は後述の「アーユルヴェーダ」を含めて『東洋医学』でありますが、近年まで日本で言われて来たところの『東洋医学』は「中医学」を示す別称であるという考え方でも良いかも知れません。



アーユルヴェーダは、体質をつかさどる要素、風(ヴァータ)、火(ピッタ)、水(カパ)の3つのエネルギー(ドーシャ)のバランスを整えることが重要とし、その方法論として、食事療法やヨガ、瞑想などを用います。

 

日本でもブームになってから長いようですが、その本質を知る人&説明できる人は少ないのではないでしょうか…? 実際僕もその1人なのですが、自分が施術で用いる「気」のコントロール方法や解釈が、実はこの伝統医療にそのルーツがあるということを、最近になって感覚的に把握したり、また、妻が「アーユルヴェーダ」のプラクティショナーであるお陰で、実生活を通じてその効能を実体験しながら ❝何となく❞ その言わんとすること&実態が見えてきている感じです。

 

伝統医学の1つにチベット仏教由来の「チベット医学」というものがあり、これを入れて『世界四大伝統医学』とされることもありますが、この「チベット医学」は「アーユルヴェーダ」が基になっていると言われています。



「ユナニ医学」は、4つの基本体液「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」のバランスを整えることが重要とし、その方法論として、食事療法や生薬の処方、整骨やマッサージなどを用います。

西洋医学の基になった伝統医学でもあります。

 

下痢・嘔吐・瀉血など、強制的に悪い体液を排泄する治療方も特徴的で、そこには「カラダの中にいる悪いものを追い払う」という考え方が根底にあります。この伝統医学は後に西洋医学として発展してゆくこととなりますが、その考え方が西洋特有の「悪いものはそもそもが悪いものなので、好転することは考え難く、それらは排除すべきものである」という排他的な思想を育んだと考察することもできます。

 

🥼

 

さぁ、かなりの駆け足…というか ❝大股❞ で『世界三大伝統医学』を見てきましたが、更なるご興味が湧いた方は、上記文中にあるキーワードを取っ掛かりにリサーチしてみてください。

 

さて、長くなってまいりましたので、そろそろこの辺で…

今回は本題である『日本人の特殊な能力』のプロローグの部分だけとなりましたが、この続編はまた近々お送りする予定です。

 

⇒我々日本人が自ら恥じている日本人特有の性質が、実は世界に誇る唯一無二の免疫を高める能力であるという…そんな内容に迫ってまいりたいと思っております。

 

それではまた次回お会いしましょう。

皆さまの健康を心よりお祈り申し上げます。

 

*当コラムの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用・NAVERまとめ等のまとめサイトへの引用はお控えください。 

 

 

 

内在するチカラ

こんにちは。江の島整体「癒芽身」の施術長 香野です。

 

さて、これまでシリーズ『免疫』では、免疫を下げる食べ物ワースト3のうち、砂糖と小麦について書きまして、次は遂にしんがり=乳製品!となるところなのですが、一旦その前に ❝箸休め❞ の回を設けようと思います。

 

これは駄目!それも駄目!おまけにあれも駄目!と、立て続けに嗜好性に対する否定論を突き付けられますと、誰だって元気を失いますし、そうなってはそれこそ本末転倒ですので…。

 

 

これは、先日自宅マンションのゴミ捨て場で撮ったスナップです。

回収時間ギリギリのタイミングでゴミを出しに行ったものですから、これを発見した時は駆け足でカメラを取りに戻りまして…間に合いました。

 

※ゴミも個人情報なので、中心部分以外はモザイク処理を掛けております

 

素敵です。

 

この方(勿論どなたか判りません)のお陰で、その周りにあるゴミ全体の価値 ⇒ このマンションの住民全員の質が上がっているような感じがして、僕はこの方に感謝したい気持ちになりました。

 

ここ藤沢市は、ゴミ出しの分別がかなり細分化されていまして、最近のお若い方の言葉をお借りして表現しますと ❝メンドクサイ❞ のです。ですから、猶更この感謝を忘れてしまいがちになり易い環境だとも言えます。

 

こんな風に感謝を伝える、これって ❝やった方が良いのにやらないこと❞ の1つだと思います。

そして、こうした行動は「謙虚な啓蒙活動」であるとも言えます。

 

ああしなさい、こうしなさいという押し付けがましいアプローチではないからこそ、これまで素直になれなかった人の気持ちも、自然と動かしてしまうチカラがあるように思います。

 

この方は、現代という「怠け者支援の時」が ❝葬ろうとする宝❞ を今も携えている貴重な人です。

 

僕の価値観での ❝勝ち組❞ とは、こういうことがスッと出来てしまう、素軽く隣人を幸せにしてしまう心の有りようを手に入れた人達のことです。上手にお金を儲けた方々につきましては…そう、「1/芸達者」という感じです。

 

「こういうの嫌い!スタンドプレー!」…え?そうでしょうか? 

 

誰のものだか判からないゴミだからこそこうしたであろうわけで、むしろ全員の心の内を代弁しようとした行動だと、僕は受け取っています。これは ❝粋❞ な行動です。

 

仮にスタンドプレー的な行動であったとしても良いと思います。こういったことは受け取る側の問題です。

 

偽善であると見透かして行動をケチるよりも、無垢に感化され善行を積むことの方が、格段に魅力的だと思います。

 

…ただ、確かに、ある行動と出くわした時、人それぞれ抱く感情が異なることも事実です。

それが人間であり、人間社会なのだと思います。

 

🙏

 

❝寄り道❞ になりますが、

ここで少しばかり人間の「感情」というものについて触れたいと思います。

 

さて、(いきなりですが)皆さんはご存知でしょうか、

 

「感情」はカラダに悪い

 

ということを。

せっかくの寄り道ついでに、もっとしっかり言っておきましょう。

 

どんな「感情」であれ、総ての「感情」はカラダに悪い

 

のです。

意外に思われるかも知れませんが、どんな感情でも持った時点でその宿主が健康に生きようとするエネルギーを消耗させる = 奪うのです。

 

「はぁっ? そんことあり得ない、それ嘘!」という方、少なくないかも知れませんね。

が、実際に人間が抱くあらゆる感情は、カラダ…特に内臓に疲労をもたらしているのです。

 

「大嘘! 喜びはカラダに良いに決まってんじゃん!」…いや、例外ではありません。

喜びは「心臓に負担」を掛けます。

 

古代中医学に「五行」という体系化されたの考え方があって、その中に感情と内臓の関連について考察された「五志」があります。この「五志」は、肝臓→怒、心臓→喜、脾臓(消化器系)→思(思い悩む)、肺→悲、腎臓→恐、という相関性を説いています。つまり、肝臓に於いては負担を掛ける感情が「怒り」である、ということを示します。

 

逆に肝臓の負担を軽減させるには、肝臓を癒す別の感情が在るわけではなく、「怒らない」という状態をもって肝臓を休める、となります。今『免疫』のシリーズの方で連載している ❝引き算❞ で…の考え方とよく似ていますね。

 

僕は中医学についてさほど詳しくはなく、それを意識しての施療も特に行いませんが、この「五志」に関しましては、その相関性が基本的には真実であることを自らの臨床が裏付けることとなっており、そうした内容を頻繁にお客様にレクチャーさせていただいております。

⇒「はいはい、何度も聞かされました」という方、この読者の中にも結構いらっしゃることと思います。

 

古代から現代に至るまでの人間の変化、また日本人特有の複雑な感情などを踏まえ、僕なりの見解として「五志」+α な点もありますので、ここら辺の話も機会があれば、このコラムの中でいつかお話しようと思います。

 

さて、勿論言うまでもなくですが、人間である以上、感情を抱かずに生きてゆくことなど現実的に不可能ですから、誰しもが生きていく中でその疲労はコツコツと蓄積し続けているわけです。

 

感情の起伏が激しい方、喜怒哀楽が極端な方など、一見元気そうに見えるのですが、カラダを触診させてもらったりしますと、皆さんほぼ例外無く慢性疲労の状態にある、というのが僕の実感するところです。分かり易い状態で言うと「カラダが硬い」人が多いです。

→内臓は疲弊しますとその外側の「鎧を強化する=筋肉を強張らせる」ことのよって自分を守らせるのです。

 

しかも、この種の疲労は別の方法論ではリカバリーがされ難いという特徴があります。

つまり、感情による疲労は、食べ物や運動、休養や睡眠などでは中々解消されないのです。

 

こうした、性格が創り出す疲労というものは、原因因子が生産されるスピードがカラダが持っている復元力のスピードを遥かに勝りますから、その場しのぎの「気分転換」などでは解決には至りません。

 

もし、長期的に「無感情」を貫くことが可能なのであれば、カラダに備わる復元力がその蓄積された疲労を徐々に解消してくれるのでしょう…が、先程も申しました通り、悟りの境地からは程遠い世界に生きる我々に取りましては、それは非現実的な話でしょう。

 

疾病まで至らずとも、特に肝臓、腎臓が疲弊している人の頻度は相当なもので、その原因の多くが内面的なもの=感情に起因するケースが殆どであると、僕は思っています。

 

…ただ、その疲労を猛烈なスピードでリリースし、免疫を劇的に高めてくれるモノがあります。

薬でもサプリでもない、瞑想でもヨガでもない、人の心から発現する「エネルギー体」、それは、



「 感  謝 」

 

です。

 

今回は珍しく(→恐らく初めて)冒頭の写真が本題に直結する展開となります!

 

🙏

 

お断りしておきますが、このコラムは、倫理学研究でも無ければ、勿論宗教でもありません。

 

これをお読みになってくださっている皆さま = 僕にとって特別な人々には、この場を借りて僕ハッキリ伝えさせて頂きます。

 

「感謝」は、人間が自ら発現できるエネルギーの中で

 「改善因子」として作用する、最も強力な「エネルギー体」 です。

 

どの感情にも属さないこのエネルギー体は、発生しても or 受容しても…即ち、

 

感謝しても、感謝されても、

体内に宿った「邪」を「正」に転換させながら「正」を更に増幅させる

唯一無二の強烈なチカラ

 

を持っています。

そう、感謝を伝えても、伝えられても、カラダが良い状態へと導かれるので、人と人とが関わるシーンでは、どちらか一方が感謝を伝えればその両者の健康状態が上がり、免疫も高まるのです。

 

そして、ここが重要なポイントです。エネルギーという観点からすれば、

 

「感謝」は「気持ち」ではなく「行動」です。

 

皆さん、こんな経験はないでしょうか。

ただ責務としてやっていた作業や仕事に対し、ある時「あれ、凄い助かったよ!ホント有り難うね!」と伝えられ、その後に同じ作業やったら今まで味わったことのない、爽快でスッキリした感覚がカラダにみなぎった。 

 

以前「スッキリした感覚」は、免疫が高まったことを知らせるサインである、ということをお話したかと思います。

 

ここで起きたことは、謂わば「感謝の連鎖」です。

感謝を伝えられたことにより責務に対する感謝が発現した…もうこうなりますと免疫急上昇です。

 

🙏

 

さて、

話が長くなってまいりましたので、最後に興味深いお話を1つして締め括りたいと思います。

 

医師から余命通告を受けた癌患者の中に、医学的処方を受けることなく、或いは最小限に抑えながらも、奇跡的な(→現代医学としては認めるわけにはいかないような?)回復を成し遂げた方が世界中に数多く居る、という事実をご存知の方もいらっしゃることと思います。

 

僕は幾つかの書物などからそうした事例を調べたことがあり、また実際に何人かの癌患者を完治させたという生活指導者とお話をさせていただいたこともあります。

 

勿論それらには多種多様なケースがあります故、これをこうしたから治癒に成功した、だから癌になっても誰しもがこうしたら治る確率が高い、などと言うことは決してできません。

 

ですが、そうした方々の多くに ❝ある共通点❞ がある、と言うことはできるかも知れません。

それは、

 

闘病生活の早い段階で、癌である実情を受容することに成功し、これまで生きて来られたこと、今現在生きられていることに対する「感謝」の気持ちが湧き起こり、癌に侵された現況を憎むことから解放され、それを期にあらゆるモノの見方や日常での行動が一変した。

 

という共通点です。

 

🙏

 

さて、今回はこの辺で失礼します。

 

皆さまの健康を心よりお祈り申し上げます。

 

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